下手の考え休むに似たりと教養

 最近の座右の銘ランキング上昇中なのが「下手の考え休むに似たり」で仕事が捗らない(必要とされる情報に遭遇出来ない・届かない)場面でこの言葉が脳内反芻する事が少なくない。何事もそうだが仕事なり作業なり趣味でも良いのだが慣熟曲線が有って一般に若い人程このレートが高く(学ぶのが早く)歳を取るに従いある程度のピーク(30〜40歳台ぐらい?)を迎え後は減少傾向を辿る(のではと考えている)。但しこれは同一分野の場合であって人間同じ職場・職種に居続けるのは最近では幸運な部類に属すると思われ(特に民間企業)翻って異なる分野の仕事を人生の糧として取り組む際にこの学習曲線が物を言う(と考えている)。

 歳男として上記を鑑みるに「学習曲線」の単位時間辺りの勾配(進歩率というべきか)が捗々しくないというか分散が大きいのが課題としてある。これは既知の分野か否か或いは趣向(好み)に左右されるのが実態である。前向きに考えるとこの業界は一人前になるのに3年は掛かる業界だそうなので(一般論としてどの分野・業界でも新人が使い物になるには昔は三年は掛かると言われていた。最近の優秀な新人さんは即戦力相当の方もおられるのかもしれないが)ジジイなりに粘り強く積み上げるしかない。○○に王道なしと言っておこうか。

 仕事なり担当分野が変わると都度学習が必要であるが場合により対象分野の基礎知識から即席勉強する場面になる事が少なくない。これは私の教養というか社会常識・知識の欠如に起因する処少なからずで○○の手習いでWebサイトを眺める程度では済まないもう少し工数(時間と投資を伴う)を掛けるべきであると考えるに至る。平たく言えばAmazonオライリーで電子・紙書籍の専門書を買い漁って読み込んでいるだけでは(飽きてしまって)身につく感がしないというか手先と頭を動かして初めて体得出来ると考えているので余計に手間が掛かるが中長期的には投資に見合うリターンが有ると信ずる。ここで教養と言っているのは対象分野に対する知識・知見・基礎教養であり社会全般で呼ばれる教養とはいささか異なる定義とする。

 グダグダ色々書いたが「如何にすれば生産性と品質が担保された仕事が出来るか」の実現手段・手法を獲得するには何をどうすれば良いかであって答えは「学問(仕事)に王道なし」なのだろう(か)。