aki_iic’s blog

己の欲せざる処人に施す事無かれ、狂人の真似するは即ち狂人なり

不完全な技術を社会に投入すると何が起きるか

 メディア様は武漢肺炎亜種(オミ株だっけか?支那のプーさんに気兼ねしてスキップしたら極東の島国の無能利権オジサンに掛かってしまった(笑)。。。)と環境ネタと何でも良いから視聴率稼げりゃ嘘も捏造も「報道の内」で監視も査定もする機関が存在しないか身内のポーズに過ぎないから相変わらずやりたい放題であるがオオカミ少年の例えの如くメディア様の虚言を信じるのはテレビと新聞しか情報源が無いジジババか余程の情弱さんか自称進歩的知識人(自分に都合の良い事だけを信じる「知識人」)ぐらいだろうか。オミ株が拡大傾向でさぞやオミ君もメディア様も喜んで(我々の予言:科学に基づく予想・予告では無く)が正しかったのだ〜。さあ愚民共跪け〜と一大キャンペーンを年末年始に掛けて展開されるのだろう(か)。あと42万人統計マニア(モデル非開示且つ検証しないどこぞの有名大学の関係者さん)もそろそろ(愚民共は馬鹿で忘れてるだろうから)活動復活かな???

 こういうネガティブな事を書くのは精神衛生上宜しく無いが文系メディア様と利権優先の組み合わせが武漢肺炎とその亜種騒動の状況で前首相が日経の取材に答えているような「総括」は毎度の如く行わず官僚組織得意のうやむやにして(あのセクハラ財務次官やマクロ経済が分からない財務次官を放し飼いにする体質故「お咎め無し」で同じ失敗を繰り返す無謬官僚モデル(例外もあるだろうけど組織体質だからそれを改める状況が置きないと無限に持続するサスティナビリティー)オミ君の人生は安泰だ(ろう)。

 話は変わって日経駄目テック(xTechとも)を暇つぶしで眺めていたら珍しい記事を見つけた↓

xtech.nikkei.com メディア様の電池車馬鹿を担ぐ体制の中で個人署名と名乗りつつ電池車馬鹿共にトヨタの虎の威を借りつつも反論しているように見える。有料記事故一部抜粋させてもらうと

(以下引用)

トヨタの本当の「敵」

 欧州委員会が世界のカーボンニュートラルを先導するリーダーシップは素晴らしい。だが、実現可能性を踏まえたカーボンニュートラルには総合力が求められる。そのために、現段階では可能性のあるカーボンニュートラル対応技術を試行錯誤しながら開発していくことが大切であり、技術の可能性の芽を摘んではいけない。

 EVの環境への貢献度、すなわち二酸化炭素(CO2)排出量の実力については、各国・地域のエネルギー事情次第というのは、日本自動車工業会会長でもあるトヨタの豊田社長がかねて説明してきた通りだ。要は、再生可能エネルギーの割合次第である。

 「EV一択」では、グローバルでのカーボンニュートラルは達成できない。ましてや、HEVは環境に優しくないから販売禁止とは暴挙であり、環境負荷軽減への大きな実力を無視した誹謗(ひぼう)中傷の部類と言ってよいだろう。

(引用おわり)

 おやおや日経の記者さんにしては至極マトモな主張である。マスキー法の時もそうだったが環境規制というか環境ネタは政治的背景が極めて強くましてや官僚天国EUでは推して知るべしでRohs/REACH等の欧州発の環境規制で苦しめられてる実務者の方には共感される点もあるかもしれない。私がネチネチ電池車馬鹿を揶揄する最大の理由の一つでもある。電池車以外に問題を解決する手段が無く且つ技術的にも(研究室レベルの玩具ではなく)完成され社会システムとして適用可能で一定の実績も積み上げられた技術に現時点の電池車システムが値するかを個人的には気にしている。例えば

・電池車は廃棄物無しで環境コスト最小の技術 → 電池のLCM、充電発電量、電池車の廃棄・リサイクル含めた環境コスト(ISO14001的に言う環境負荷)は試算にもよるがHV車どころか化石燃料車にも劣る試算もある。

・目的と手段のすり替え → 上記EUが最たるものだが環境負荷軽減の為の技術の筈なのにいつのまにやら電池を使わねば駄目でバスに乗り遅れるとか国際競争の敗者になるとか科学的根拠も試算も示さずに雰囲気で利権の為の誘導を行っているのではないか? そもそも産業界が時期尚早と判断してるのに無責任メディア様(メディア様に責任能力が無いのは毎度の事ではあるが)と官庁様の一部がブツブツ言ってるだけでこれでは馬を水飲み場の例えで鑑みると馬(産業界)の方が現時点の判断としては適切なのではないか。

 そんな訳で珍しく駄目テックの記事に共感した次第。まあ記事は記者(執筆者)の質に依存するから日経コンピュータ芸人木村(敢えて呼び捨てにさせて頂く)の如く芸術ご出身の方が日経という虎の威を借りて文系パワー絶大な記事にすらなってない(元編集長のくせに)煽りポエムと見たくもない顔写真でナルシーしてるのは控えめに見ても「イタすぎる」。