aki_iic’s blog

己の欲せざる処人に施す事無かれ、狂人の真似するは即ち狂人なり

秋月電子通商の55年(FabScene)

 FabSceneのインタビュー記事より。

 これは秋月ファンのみならず必読でしょう(誇張は有ります:)↓

fabscene.com

球根か電子部品か

FabScene(ファブシーン)  Older man in a gray blazer and blue tie standing in a warehouse aisle with shelves and boxes in the background, looking at the camera.
秋月電子通商創業者で現会長の辻本昭夫氏。(2026年6月撮影、写真提供:秋月電子通商)

 

その創業者が、もう少しで電子部品店を始めていなかったかもしれない――というのが、辻本会長が袴田氏に語ってきた創業の経緯だ。1949年生まれの会長は、東京工業大学附属科学技術高校に在学していた1960年代に、世田谷区瀬田の自宅で「信越電機商会」として商いを始めた。CQ出版の雑誌に広告を出し、土日には自宅でジャンク品を売る。秋葉原に店を開いたのは1970年11月、三島由紀夫が自決したのと同じ日だったと記録されている。

商売を始めるとき、会長は植物の種や苗を売るか、電子部品を売るかで迷っていたという。「会長は、植物が好きなんです」と袴田氏は言う。その性分は後年まで抜けなかった。10年ほど前、会長は九州で彼岸花の球根を育てる農家に電話をかけ、その年の生産分を丸ごと買い取った。年配の夫婦が彼岸花はもう売れないので農家を畳もうかと漏らしたのを聞き、それも寂しいと思ったからだ。仕入れた球根は、新商品の販売開始時刻に合わせて、会長が誰にも告げず秋月のサイトに並べてしまった。袴田氏がそれを知ったのは、同業者との会食の最中だった。「秋月球根」と呼ばれ、ひとしきり常連を驚かせた一幕である。

電子部品の側に天秤が傾いたのは、父親の縁だった。会長の父は新聞関係などの仕事をしており、その人脈に電気系の払い下げ品が流れてくるルートがあった。会長はそれを買い上げ、部品の販売を始める。本当に最初はジャンクの転売だった、と袴田氏は会長から聞いている。世田谷の自宅のガレージで土日に部品を並べる、それが秋月の出発点だ。

引用おわり。

 会長(1980〜90年頃よくリアル店舗に通っていた頃は店長さんと思っておりました:)さんのお姿ですが、1980〜90年頃は例の茶色の袋にボールペンで金額書いて暗算で計算しておられました(最初は衝撃を受けました:)。懐かしいですね。当時を知る多くの方はご承知の事ではありましょうが(懐かし)。

 リアル店舗に最後に行ったのは学生時代の友達が上京した時に付き合いで秋葉原周った時以来だから2023年頃だろうか? その頃の秋月は綺麗なショーケースにバーコードラベルで管理された普通の部品屋さん風になっておりました。当方も目が悪くなり(老眼よりは緑内障の影響が少なくない)リアル店舗周りする馬力はとうの昔に消失しておりましたが・・・

 無条件にオススメの記事です。ご参照頂けると幸いです(心から)。