ラジオ少年の頃

 今日は最高気温36℃なる猛暑の中通院してきたが明日から葉月だしこのレベルの猛暑が続くのであれば予想以上に具体的な電力需要逼迫が訪れるやもしれず(煽りではありません)。なので不急不要な電力需要の抑制には賛成で私なりに考えた施策として:

 不急不要(見方によっては有害無益)なテレビ放送を電力ピーク時期には停波する。それに伴い受像機(古い)も電源を切る筈だから視聴者世帯数分の電力削減効果が期待出来るのでは。

 無論これは暗黒卿が随分前に提唱された事柄だから国交省経産省か知らぬが関東の私鉄に「電力ピーク抑制依頼を受けている為、不急不要な改札、照明を停止しております」といったアナウンスを強制するヒマがあれば総務省

電力需要ピーク時は停波(命令)

 の一言で済み効果も確実且つ大きいのではなかろうか(放送局側に補填するかは別にして)。他にも普及不要系の施策として(岸田政権の得意技):

・不急不要な自家用車移動の抑制(特に連休・帰省時期)

・不急不要な交通機関の抑制(計画停電を起こさぬ様な)

・不急不要なイベントの抑制(利害関係者からの反発が予想されるし効果も散発的且つ不安定)

・不急不要なテレビ放送の停波(元々不要なのだからこの際「業界自粛」なさるのも宜しいのでは)

・不急不要なメディア様の自己抑制(元々不要なのだから(以下同文))

 ダンシャリとかミニマムライフとか意識高い系の方々よ、今こそ同志拡大の契機ではないだろうか(テレビが無くても意識高ければSNSさえあれば大丈夫、とか)。

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1.日の出のゲルマラジオキット

 ラジオ少年たるもの入門はゲルマラジオと決まっており21世紀の今でもSBDを用いた「ゲルマラジオ(正確には意味が違う)」が売られているのはAMラジオ局がどうにか停波せずに維持されているおかげでビジネス的にはFMに統一した方が良いのは解っているものの新規投資は避けて現状機器維持で今暫くは続く(と良いなぁ)かもしれないという想定を前提とされている。私がゲルマラジオを体感したのは小学校四年生の頃で親父が買ってくれた日の出のゲルマラジオキットが最初だったと思う。小学校四年生ではまとも組み立てられず親父がハンダ付けしてくれた記憶があるが元々このキットはハンダ付け不要で組み立て可能(ラグ端子のようなものでリードをカシメる感じ)で記憶があいまいだが自分で同じキットを買ったか学校の教材で入手した機体は自分でリードをカシメた記憶がある。

 日の出(ヒノデ、Hinode)とは年配の電気工作・ラジコンが趣味の方はご存知かもしれないがラジオキットの他に順序式と呼ばれる安価(それでも小学生にとっては高嶺の花)なラジコン送受信機を販売していた記憶があって模型とラジオではよく使われていた記憶がある。模型とラジオは科学教材社が発刊していた雑誌でとうの昔に廃刊されているが小学生の頃はラジオと模型とラジコンと鉄道模型(当時はHO主体)が一冊で手に入るとても有難い雑誌でありました。まだまだプラモデルの方に興味が強かった当時の私がゲルマラジオに触ったのは親父の影響が大きくそれが大袈裟に言えば私のエンジニア人生の原点にもなったのかもしれないと振り返ったりもする(回想或いは妄想です)。

 ネットで調べた処では日の出のゲルマラジオは様々なバリエーションが存在するようで私が触ったゲルマラジオキットは型番:GR-200(不確かです)、μ同調、電灯線アンテナ(注意は必要だがとても良く聴こえました)、IN60かSD34相当のゲルマニュームダイオードを配線はカシメでリードを束ねてダイヤルは黄色かオレンジ色、ケースは薄青い40x60x14mmぐらいのサイズだったと記憶している。正方形の紙箱で赤と緑の対角線で区画を着色した紙箱は目立つデザインでもあったし薄青い数ページの小冊子が添付されていて泉浩風のイラスト付のラジオの原理が書かれたもので小学生の私は貪る様に読んだものです(当時は模型とラジオも知らなかったので)。

2.μ同調と電灯線アンテナ

 この日の出のゲルマラジオキットの特徴はμ同調、電灯線アンテナが技術的には大きいと考えており(後知恵です:)μ同調部分は大袈裟に言えばCollinsのPTOを思いっきし簡略化したようなメカニズムでフェライトコアのアンテナコイルをμ同調のコアがダイヤルをラック&ピニオン(ダイヤル側がピニオン)でラックとコアが連動して同調操作を行うコンパクトで高感度で安定して動作する優れものでした。なのでバリコンを知るのはこの後になりμ同調が少数派のマイナーな技術であったと後々知るのであった。

 電灯線アンテナは小容量のコンデンサを介してACプラグの片側みたいな部品をACプラグのホット側に挿して擬似的にアンテナ線を拡大する技術でメカニズムを知った時は「頭良いなぁ〜」と思ったりもしましたが最大の効果は後々のトランスレスへのアレルギーを緩和した効果があったのかもしれませんな(後知恵ですが)。

3.6石スーパどころかストレートラジオキットすら組み立てた事が無い

 実は親父は真空管時代に道楽&小銭稼ぎでラジオの組み立てをやっていた様であの杉本哲(NHK研究所から独立して雑誌投稿者になった人)氏の名著「初歩のスーパーとHifiの研究」が何故か家にありました。当時親父は40代でまだまだ馬力があったので真空管時代からトランジスタ時代に対応すべく色々トランジスタラジオキットを買っては失敗(不動作)しておりました。同時の私は親父が何をやってるのかも正確には把握してなかったのですが「トランジスタラジオって難しいのだろう」とぼんやり感じておりました。そういう訳でトランジスタラジオキット製作の楽しみは親父の専業となり私はプラモデルに回帰したりして小学校6年半ばまで過ごしていたような気がします。

4.子供の科学

 誠文堂新光社子供の科学を知ったのは札幌オリンピックの頃に買った二宮さんの紙ヒコーキ目当てで子供の科学を買ったのだが最初だったと記憶しているが当時は珍しかったトランジスタラジオのプリントパターンを奥沢清吉さんが毎月公開されており1度だけ基板をお裾分け頂いた記憶があります(確か2石のダイオード検波ラジオ)。結局基板を作成する事はありませんでしたがトランジスタ真空管の各ラジオや科学知識や自然科学といった単なるラジオ雑誌とは異なる書面構成で中学生で初歩のラジオに移行する前は愛読していたものです。プリント基板を作るのは中学二年生(例の「通信型受信機(自称)」)になってからでラジオ工作の実績は乏しく子供の科学で簡単な電気工作記事(マルチバイブレータを使用したタイマリレー等)をマネして電気工作をしておりました。

5.初歩のスーパーとHifiの研究

 前述した様に親父が持っていた本ですが相当読み込んだ為かボロボロ(でも書込みは無かった)になっていた同書をその息子がIR5の単球スーパから始まり6WC5-6D6の2球スーパー(セレンの倍電圧整流付き)、6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-12Fという6ボルト管の普及型5球スーパや12BE6-12BD6-12AV6-35C5-35W4のMTトランスレススーパ等の章を読みふけっておりました。それを見た親父がどこからか錆びついた6ボルト管の5球スーパをシャーシ、球ごと確保してきたのでそれを分解して2球スーパ(6WC5-6D6)を作ろうかと考えていましたが親父が5球スーパに再組み立てしてしまいました:)。その後はMT管の6BE6-6BD6-6AV6-6AR5-5MK9の普及型6ボルトMT管の5球スーパを前述のST管スーパーから電源トランスを拝借して当時一般的だったアイデアルの5−Mとかいう穴あきシャーシーに組み立てておりました(中間周波、第一検波は配線が難しいので親父が買ってに配線:)。こういう経緯故、ストレートラジオを組むのは中1の0−V-2になるまで製作経験がありませんでした(除く電子ブロック:電子ボード)。

(つづく)