教科書と言っても意識高い系のお好きな教科書問題ではなくてAmazon等で溢れている○○の教科書と詐称する「虎の威を借る教科書モドキ」に関しての個人的見方。
1.教科書の定義
文科省によると教科書の定義は
1)教科書の定義
教科書とは、教科書の発行に関する臨時措置法において「小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校及びこれらに準ずる学校において、教育課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児童又は生徒用図書であり、文部科学大臣の検定を経たもの又は文部科学省が著作の名義を有するもの」とされています(発行法第2条)。
これによると文科省検定を経た著作物以外は教科書に該当しないと解されるから巷に溢れている○○の教科書なる著作物は教科書の定義に該当しないとなる。
2.教科書に該当しない「○○の教科書」等を詐称する出版物
教科書は義務教育を受けた真っ当な国民としては馴染み深い著作物であり一般には幼少期に最初に接する出版物である場合も多い(上記定義から絵本等は教科書と解さない)から教科書という言葉に権威・信頼を置く日本国民が多いのは道理で出版不況に苦しむ業界としては少しでも出版物が売れる為のマーケッティングの基本たる書名には並々ならぬ拘りがあるのだろう。その中で読者が出版物から何らかの知識・知見・情報を上記教育課程に準ずる或いは類する期待を持って検索・参照する出版物に○○の教科書というタイトルを付けたがるのも商売上無難な方策とも言えるが個人的には
上記根拠を基に「○○の教科書」と詐称する出版物は不適切と断言してしまおう(キリッ)。
3.衰退産業さんの生存戦略
どうやら紙関係の業界(新聞とか出版とか印刷業界とか写真、絵画等々)はその長い歴史故か電子媒体とは比較にならぬコスパの良さと不揮発性媒体としての保存性(最低数十年、長いものでは数百年以上)、媒体普遍性から従来からのモデルを継続するが得策と理解される様でそれは正しい事でもあるし環境馬鹿がテロ活動を行わない限り(紙の原材料たる森林を守れとか)盤石な産業なのだろう。これは紙(出版)に限らず媒体系の業界でも同様(但し紙以外の人工媒体は不完全故の寿命・適用対象機器の儚さという技術的欠陥(進歩とも)を抱えてはいるが)で内容物で勝負の世界だからそれを一言で表現する為のタイトルに拘ると教科書というパワーワードが出版社にとっても読者にとっても大変魅力的に映るのだろうなぁと。
まあそれでも私個人の価値観として上記「○○の教科書」を詐称する出版物(紙・電子・他媒体問わず)をタイトルだけで不適切フラグをセットしてしまうのだが。。。
まだ「○○塾」といった私塾と明記されたタイトルの方が良心的に感じるのは私だけなのだろうか。同様の理屈でYouTube界隈に「○○YouTube大学」とか芸人や素人が詐称するのは論外でその手の詐欺商法は目立たぬ処でカモ探しをやって頂けたらと思うのですよ。そういう方々に限って意識高いというかアレな属性が多いような(単なる無知なあフォなだけかも)。
4.高々50年程度で千年以上の歴史のある紙媒体に対抗する愚かさ
現代社会を支えるコンピュータシステムは高々50年程迄に実用化された技術に過ぎずそれを構成する要素は僅か数年から数十年程度の寿命しか有しない甚だ不完全で儚い技術でもある。その基盤の上に成立する「電子書籍」なるものは更に短く儚い情報である事は言うまでもなくそれなのにこれら電子データは未来永劫の存在すると信じ込ませたい科学技術の限界を知らない(或いは知らせたくない)勢力には辟易してしまう。
せめて100年以上は持続する電子処理可能な媒体が登場してくれないと人一生分の情報をコンピュータで管理なぞ臍で茶を沸かす話に過ぎないのではと。まあそうならぬ様に世界中の当業者さん(国だったり政府だったり民間団体だったり私企業だったり個人だったり)が涙ぐましい努力と膨大な投資を繰り返して社会システムを維持してくれている現実があるのだが。
とりとめのない話ですみません。