VMwareの導入に伴い再びストレージに余裕が無くなってきたのでWindows10区画を削除して区画整理を行った↓
振り返るにこれは毎度毎度のパタンで:
1.購入時はWindows消すの勿体無い心理が働いて取り敢えずWindows区画縮小
と歴史は繰り返されたのでありました。A285のNVMeは256GBでBTO(当時)は選択出来なかった/しなかったので今は256GB空間の有効活用で今に至る。HDD並に何も考えずに導入してると遠からず一杯になるのでその時はNMVe交換なり他のマシンへのリプレースを検討するのだろうがA285使い始めて1年(購入は2019年9月だがほぼ休眠・死蔵状態だったので:)で所謂メディア系の処理や機械学習もせず、最も重たいアプリケーションがCAD系(FPGA環境をCADと言うならば)かBuildroot(ストレージ的に:)な省エネユーザなのでまだまだ数年以上は(Ubuntu 24.04の世代ぐらいは:)この環境で続けたいものである。実際、Ubuntu 16.04なx230も充分現役だしOSSはサポート無しはあれどもどこぞのシアトルパソコンソフトの如く権威主義国家的強権発動(OSタダにしてやるから強制アップデートな、とのジャイアン思考:)は殆ど見られない(その分、リスクは自分で負うので相応の判断と対処は必要)から使用するアプリケーションの嗜好が負荷の上がる方向に変化しない限りは何とかならないかとも考えている。
まあ、RISC-VなりMn Macintoshの普及版且つOSS版が登場したら心が動くかもしれないけれども、10年前のノートPC(CF-J10とか、X230とか)で充分実用的なので袋小路のパソコンとやらに技術革新が起きるのならばそれを待つ(リプレースではなく)という言い訳をしておこうか。
そろそろパソコンもオーディオやアマチュア無線の如きobsoluteな趣味分野(道具としての存在は今迄以上に重要故:)に成り始めている気がしている。その根拠はパソコン雑誌の衰退と猫でも使えるスマートフォンスキームの老若男女への盤石な普及、即ち
パソコンって趣味としては既にオワコン?
と慣れない流行り言葉で表現してみる。まあ、組み立て作業の事を自作と称する方々の文化がどのくらい続いたかと言えば・・・これ以上悪態を突くのは止めにしておこうか(それすら出来ずにノートPCを買い続けた我が身を反芻しつつ:)。。。
20230122 16:51追記:区画に余裕が出来たので区画統合してext4を1区画に纏めた。
使用率55%で複数区画より自由度も増して(これが普通か:)満足。
これでめでたくwindows10はVMwareのゲストOSとして存続する事になりました。めでたしめでたし。