分不相応な戯言は程々にして、少しは現実世界に近い話題:
このコラムを書いている人は相応のお歳のようで、そのお方がノートパソコンに飽きた(意訳:)と言うのだから1990年からカウントしても30年も同様な形態が続けばさもありなん。ノートパソコンの始祖とはApple教徒にはPowerBookだろうし、Intel信者には星の数程存在するDOSノートパソコン(Windowsはまだ存在しなかった:)の時代からの認識なのだろう(勝手な憶測です:)。
私見になるがIntelにもMSにも彼らの言う処のイノベーションを起こす能力は残念ながら存在せず(イノベーション=リスク故)それを担うのは得てしてチャレンジャー(マイノリティの類義語)であり、先のAppleがそれを少なからず担ったのは単なる偶然とは思えない気がしている。今やプラットフォームがPCからスマートフォンに移行してしまった現在(=PCがノートパソコン含めてマイノリティ或いはobsolute化の始まり:)そのイノベーション(笑)で勝利を収めたのはiPhoneを創生したAppleとそれを卑屈な程に既存技術の組み合わせで模倣したAndroidであり、自社技術で対抗した(WindowsCEから含めると最古参なプレーヤーでありながら)Microsoftの技術力とやらを反芻すべきではないだろうか(とか評論家の様な事を言ってみる)。
30年以上もレンガとか文鎮とか辞典を持ち歩いていた年配の世代(リアルで私のその一人)にとっては1kgを切り、500gに届きそうなノートパソコンの存在は有り難い道具の小型軽量化ではあるものの、それをイノベーションと呼ぶ(呼べる)かは人によって異なるのだろう。少なくとも上記コラム執筆者はそうではないと暗示しているのではなかろうか。
クルマがどうちゃら言う前にコモディティ化が長く、イノベーションも無く、アパレル並に同じ様な代物を春物、冬物とだらだら惰性で製造(開発と言えるかどうかも・・・)販売する惰性サイクル(誰も幸せになれない)を武漢肺炎でも何でも外的要因(台湾有事とか:笑えない:)でも良いからLoopからの脱出が必要なのだろう(か|な)。
それを今迄はAppleにアウトソースしていたPC界隈もApple自身がJobsの貯金が切れて
後継者は予想通りの凡人で今やPC創世記の変人が自然減しつつある今こそ、イノベーションの刻なのではないでしょうか。端的に言えばGoogle grassとか。。。
まあ、イノベーションとはリスクであり死屍累々の墓の上に自然競争的に齎されるものだから成熟し、リスクを嫌う(特に株主さんら:)業界と化したPC(笑)界隈ではその要件すら喪失してしまっているのかもしれない(というか、してる)。