aki_iic’s blog

己の欲せざる処人に施す事無かれ、狂人の真似するは即ち狂人なり

薬価改定

 従来二年に一度の薬価改定が毎年行われるようになるとの報道↓

www.nikkei.com

 厚労省の目的は膨れ上がる医療費の抑制にあるのは明白でそれは当然されるべき事柄である。人間特に歳を取ると通院頻度は増加傾向にあるし、医者は処方箋で何らか薬剤を処方し、病院の近傍に商店街の如く配置される調剤薬局で処方薬を受領するシステムが一般的かと思うがその源を削減する事で医療費抑制を行うのは全く正しいと個人的には理解しているが前提として薬剤メーカが提出する価格内訳が妥当であるか査定する能力が監督官庁に無いと舐められる事に成りかねないと思うのは素人の思い過ごしだろうか(医薬品業界さっぱり分からないので)。

 ジェネリック医薬品監督官庁から指導されると大学病院の担当医も言ってたし、上記の薬価見直しの影響は医薬品メーカが負担する構図ではあるがこれも自由競争であるし、そもそも不急不要の薬剤を処方(せざるを得ない)現場医師の方々も大変ではあるのだろう(私は通院する担当医を信じているので好意的解釈を今は取っています)。

 医療制度と社会保障受益者負担を意図的に混同して語る評論家なりメディア様が少なからず居る(活動家さんは言うに及ばず:)ものだから昼間の病院はジジババの暇つぶしの場と化し、言うこと聞かない・世話の焼けるジジババの飼育に現場の医療関係者は消耗するという現実(当方、数ヶ月に一度旗の台の大学病院の眼科に通院しているが昼間はジジババが大半で有る意味ジジババは勝ち組(相当、偏見入ってます:)かなぁとも思ったりもする。

 話が脱線するが人生100年時代が到来するとメディア様や一部の向きが流布なさっておられる様だがはたして社会システムのグランドデザインは盤石なのだろうか?科学の進歩で平均寿命が物理的に伸びる事は喜ばしい事ではあるが生産年齢もそれにつれて上昇しなければモデルが破綻してしまうのは社会システムに疎いど素人でも想像が付くし非生産年齢が従来と大差無く(具体的には60歳定年)以後余生40年(何と長い余生な事か!)を生き残る為の蓄えを持つには生産世代の年収を余生増加分(具体的には20年分以上!)を蓄えねばならないと計算すると気が遠くなる(笑い事ではない)。

なので個人的意見として(あくまで個人的意見です):

自分で意思決定が可能な年齢の内(ボケて判断が出来なくなる前にという意)に

尊厳死なり自分の人生の終え方を自分で定める事を阻まない法制度の確立を望みます。

 今の医療は本人の意思と無関係に生存を存続させる行為=医療行為と法的には解釈されているそうなので昔の人生60年時代だったらそれはそれで尊い行為だったのだろうが価値観の多様化の中に人生観(終焉も含めて)の多様化を許容する成熟した社会になる事を望みます。具体的には自分の生活設計に合った天命の定め方という神をも恐れぬ考え方とも言えるのかもしれないが現実問題として経済問題=人生でもあるからそういう価値観を”ガラパゴス憲法馬鹿共”に”憲法違反だから〜”とか馬鹿の一つ覚えで否定されるとしたらそれは私個人の価値観(今の価値観ですが)とは異なると考えています。